自治会の紹介(御願塚地域の紹介)
概要
兵庫県伊丹市御願塚1丁目~5丁目の自治会。現在約820世帯が加盟。(総世帯数は約1300世帯)
令和3年には60周年を迎えました。
子ども会・ニコニコ友の会・喜楽会・民生児童委員・少年指導委員・南小PTA愛護部および下記にご紹介します地域組織のご協力により、安全・安心で活気あふれる美しい町=御願塚を目指し活動しています。
地域
兵庫県伊丹市の南部に位置し、5世紀に築かれたとされる御願塚古墳(兵庫県史跡・文化財指定)を有しています。
江戸時代までは摂津国川辺郡御願塚村でしたが、明治の町村制施行で稲野村大字御願塚となり、昭和の伊丹市成立後、鈴原町(一部)・稲野町・若菱町・梅ノ木・南町がそれぞれ成立し、1974年に現在の御願塚1~8丁目が成立しました。
阪急伊丹線の新伊丹駅・稲野駅が徒歩圏内で利用可能であり、町内に伊丹市立南小学校が存在します。
伊丹市でも有数の昔から栄えた旧村であり、代々住み続けている旧家も多い一方で、若い世帯の流入も増加している、伝統と新しさが融合した活気あふれる地域です。
御願塚について
御願塚地名由来
一つの説として、主墳(現御願塚古墳)の陪塚として、満塚(みちづか)・掛塚(かかりづか)・温塚(ぬくめづか)・破塚(やぶれづか)の4基があり、これを合わせて「五ケ塚(ごかつか)」と呼ばれていたものが転じて「御願塚(ごがづか)」となったとされる。現在古墳群は宅地開発等により失われているが、跡地には位置を示す石碑が建てられている。塚口の由来は、古墳群(塚)の入り口にあたるからとの説もある。
御願塚の成立
江戸時代までは、摂津国河辺郡御願塚村であった。明治22年の町村制により、稲野村大字御願塚となる。昭和15年伊丹市成立後、人口増加に伴い、昭和30年鈴原町の一部、昭和32年に稲野町と若菱町、昭和49年に梅ノ木町、昭和50年に南町とそれぞれ成立し、御願塚1~8丁目が成立したのは昭和49年(1974年)である。
御願塚宮座・若方座
日本の歴史では、宮座の成立は室町時代であることが判っている。御願塚の宮座については、資料として多くは残っていないが、1617年(元和3年)の御願塚村の宮座に関する「宮中覚」があり、当時の座の様子がうかがえる。伊丹市史 第2巻、新伊丹市話、伊丹のくらし(伊丹市立博物館)に当時の宮座行事等が記載されているので参考にしてほしい。
ここでは多くを省略し簡単に説明する。
御願塚村の自治は、村人のなかでも「宮座」が担っていた。村が形成されて以来、現存する地域組織の中で最も古く、歴史と伝統をもつ。宮座は、その名の通り、氏神様を敬神崇拝し中・北・南の三社の祭礼を執り行うとともに、村の司法・立法・行政の三権(特に年寄りは絶対的な権限を持っていた)をも有していた。座の組織は、3段階に分け(1617年頃は右座・左座で構成されていた)、年寄(10人)・中老・若衆で構成され、集落内に所有地を有する戸主並びに長男または分家でなければ入座出来なかった。
御願塚村は、100戸におよぶお大村であることから、宮座とは別に若方座が組織されている。若方座の成立の時代は判らないが、宮座の成立とともに構成されたと考えられ、宮座の祭礼を補う役割を果たしていたと思われる。
宮座の長である座頭は、氏神神社の祭礼に際し、祭主(神主)を務めていた。(現在は富松神社の善見宮司が務めている。)
座の行政力は明治22年の町村制発布により自然消滅した。
その後、昭和15年の伊丹市成立により、稲野駅・新伊丹駅周辺には外来者戸数が急増し、座の組織も時代に合わせた改革を余儀なくされ、昭和28年に宮座51戸を東組・西組・南組・北組・中組の5組に分け、各組より2名(計10名)を年寄として選任し、年寄りから座頭1名・会計1名を選任し座の運営をしている。任期は3年間である。現在は40戸に減っている。
古来より、祭りの際お宮の拝殿に直接のぼって神事に参加できるのは、宮座の座員だけであった。後年神事に参加する新たな座として若方座が編成され、御願塚村には祭祀集団として「宮座」「若方座」の二つの宮座組織が現存している。現在神事は宮座と若方座(25戸)で務めている。
年間の神事としては
・とんど焼き(1月15日)
・垣結祭(3月3日)
・夏祭り・婦人会奉納盆踊り(7月22日)*御願塚婦人会主催(令和5年より「奉納夏越おどり」実行委員会が発足し継承)
・夏越祭 湯立・神楽 三社(南・北・中神社)参拝(7月23日)
・八朔祭(9月1日)
・秋祭り・太鼓台巡行(10月下旬㈯㈰)*子供会が参加
・しめ縄の作りと飾りつけ(12月下旬)
・福火(12月31日23:30~1月1日2:00頃)
伊丹市御願塚農業協同組合
組合員が共同してその農業の生産効率を上げ経済状態を改善し、社会的地位を高めることを目的に組織された。現在の組合員数は71名で、全体を1班から6班に分割し、各班より2名(計12名)の代表と、監事2名の計14名で運営にあたっている。任期は2年である。本組合には水利組合と御願塚墓地管理組合を有しており、組合員代表から各2名を選任し運営・管理している。
水利組合は、御願塚内にある農業水路及び川の定期清掃及び管理をしている。
農会は、その代表者が市内27区の農会長および伊丹市関係機関と農地の適正・円滑な運営を協議している。
御願塚墓地管理組合は、御願塚内にある墓地を管理している。伊丹市御願塚農業協同組合婦人部の皆さんにより、毎月清掃して頂いている。
町組織
東町・西町(にしんじょ)・南町・北町(きたんじょ)・道金町(どっきんちょう)・辰巳町(たつみちょう)の6町で組織される。それぞれの町は、毎年輪番制で当番が決まり、当番は愛宕祭・葬儀を取り仕切る。
町はそれぞれ愛宕社を有するが、東町と辰巳町で1社の為5つの愛宕社(火の神様)が祭られている。当番は3月に五月山の愛宕神社(以前は京都の愛宕山山頂にある愛宕神社まで行っていた)に御札を頂きに参り、各愛宕社に御札を奉納する。また各家庭にも配られる。この時期には全国から京都愛宕社に参拝する人が絶えない。愛宕祭は火防の神様(へっついさん=竈)を祭る行事で、地蔵盆に合わせ毎年8月23日・24日に行われる。愛宕祭:京都の愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社から発祥した火防の神に 対する神道の信仰である。
御願塚史跡保存会・御願塚文化財愛護少年団
御願塚史跡保存会は、昭和41年、御願塚古墳が県文化財に指定されたのを機に、古墳の清掃・保存を主活動として翌昭和42年発足した。昭和43年には御願塚文化財愛護少年団も結成された。
現在は周辺自治会・各会組織・企業等の協力を頂き、古墳の清掃(毎月第一日曜日AM9時~)や保存活動および研修活動等いろいろな活動をしている。
御願塚の街を紹介した「御願塚ふるさとマップ」を作成・販売し好評を得ている。また南小学校(3年生)も授業の中に取り入れている。
皆さんも一度見て下さい。何か発見するかもしれませんよ。
北・中・南神社
古来より宮座が所有・管理し、神事には座頭が宮司の役目をしていた。
氏神様として北神社(須佐男神社境内北西側)は北野山大神宮と称し天照大御神を、中神社(旧須佐男神社)は素戔嗚尊(須佐之男命)祭っている。南神社は御願塚古墳の頂上に鎮座し、孝徳天皇社と称せられる。
大正13年宮座が所有する北神社の全境内及び神殿敷地参道と南神社の周辺堀・堤防は須佐男神社名義に無償譲渡され、昭和27年、宗教法人 須佐男神社に継承されている。
昭和46年、山陽新幹線の建設に伴い、中神社(旧須佐男神社)は新幹線軌道用地に収用され、北神社の南隣に移転して、現在の須佐男神社の姿となっている。